ホンモノガタリ Vol.1 「競争から共創へ。それがHonmono。」三井所 健太郎氏
更新日:2021年11月5日

アーティスト、職人、クリエイター、Honmonoには多様な個性が集まっている。
その一人ひとりの今の想い、これまでの軌跡、これから進む道。Honmonoメンバーが語る等身大の物語、それが「ホンモノガタリ」。
第1回は、組織の代表だからこそ見えるHonmonoの今とこれからを、三井所健太郎さんに聞いてみた。
取材日:2019年12月17日聞き手と文:大竹一平(MtipCreative㈱代表)
やっぱワクワクがないと
三井所
この前、Honmonoの2019年の総括と2020年に向けた想いを資料に纏めていて思ったんですけど、Honmonoの活動って率直に言ってしまえば、「ワクワク」の延長にあってほしいと思ったんですよね。
大竹
ワクワク?
三井所
そう、自分で考えを整理していて思いました。プロジェクト、イベント、ほんとに小さなことでもいいんですけど、やっぱり「ホンモノおもしろいわ」がないとHonmonoに人は集まらない。
人が集まらないとメンバー同士の共創は生まれないし、新たな出会いや新たな機会も生まれない。
大竹
ワクワクと言っていいと思うんだけど、実はおれとしては、これまでHonmonoの活動を仕事として取り組んだことは一度もなくて、完璧に遊びとしてやってきました(笑)
三井所
ありがとうございます(笑)
大竹
仕事にするとどうしても「うまくやらないといけない」「成功させないといけない」っていう想いが強くなるから、委縮しちゃったり、マージンとったりしちゃうんだけど、会社の外にあるHonmonoでそれをやったら加入してる意味がなくなるなと。
自分の仕事じゃ出来ないことをHonmonoで試して、刺激をもらって、自分と自分の会社の可能性を広げたい、だからHonmonoでは本気で遊ぼうと。

ミートアップでは新しいメンバーの活動を体感し楽しむことから始まる。
三井所
Honmonoが目指している部分でもあるんですけど、一人ひとりが人間性を活かしながら自主的に動いて、結果を出して行くっていうのが、これから求められる働き方になると思うんです。
仕事には「達成型」と「展開型」っていう2つがあって、軍隊式に上からの命令を受けて個人が動いて、組織の力で目標を達成するのが「達成型」、一人ひとりが競い合う競争ありきですよね。

大竹
日本が敗戦から立ち直るために、昭和を支えてつくり上げてきた価値観ですね。
三井所
その時代の背景というのはあって、高度経済成長期の日本は所得倍増計画から始まって経済発展という大きな目標、社会の流れがあったから、それに沿って企業や個人が猛烈に競い合うことで結果を出せてきたと思うんです。
大竹
でも、時代は変わってきた。
三井所
ですです。インターネットとスマートフォンが当たり前になって、時代は変わりました。
誰もがメディアとして情報を発信できるようになり、変化のスピードは上がり、価値の多様性もどんどん広がっています。
達成型で見られた「上の人が出す1つの命令」は、末端に届く前にもう社会が変化してしまっているかもしれないし、そもそも多様な価値観で広がり続ける海に、一滴の水を落としたところで、周囲に与えられる影響はどんどん小さくなっていきます。
だから今はもう、成長するための組織の形や、仕事の価値観も大きく変わっているはずです。
ティール組織といった概念も、現実的に取り入れるべき段階にきています。
※ティール組織とは?
上司部下のような概念は存在せず、組織の一人ひとりが意思決定権を持つ。組織の存在意義をベースに事業が自発的に展開される次世代の組織モデル。

大竹
そこで、Honmonoが登場するわけですね。
Honmonoは「共創」する集まり

三井所
これからの社会で求められるのはティール組織のように、個々それぞれが持つ能力や主体性をしっかり磨きながら、周囲と協調して結果を出していくことだと思います。
だからHonmonoの働き方の基盤は「展開型」。
個々が自主的にチャレンジして、その過程で起こる出会いの輪を広げて、結果的に影響力がどんどん大きくなっていくような。
“競争”ではなくて“共創”しながら成長していくための組織にしたいです。

Honmonoの全体構想
大竹
展開型の起点になるのがHonmono。
三井所さんが面白いなと思うのは、大学を出てけっこう大きな企業に入ってますよね。
達成型社会のど真ん中みたいな組織で、上から下りてくる仕事を大人しく日々こなす、ある意味そんな“楽”もできるのに。どうしてわざわざHonmonoをつくろうと思ったんですか?
三井所
就職して、Honmonoを起ち上げるまでに8年から9年、会社員に専念してたんですけど。
実はその前、会社に入る前から自分の中ではずっと、「自分で価値を生み出して、それを人に届けて喜んでもらう」っていうことに価値観やよろこびを感じていたんです。
ただ、それを形に出来る手段がない大学生活だったんです。
始まりはデザインと工学
大竹
大学ではなにを勉強してたんでしたっけ?
三井所
クリエイティブ系でした。
九州大学の芸術工学部といって、デザインもやるし工学もやるし、いろいろ全部学ぶとこなんです。
たとえば絵を描いたり粘土をこねたりする一方で、デザインアーキテクトといって、物理を学んで建物の外観だけでなく構造や設備までを含めたデザインをまとめていったり、プログラミングをやったり、CGもつくったり、とにかく芸術と工学を一通りやるんです。で、その結果なにも残らなかったみたいな(笑)

反省だらけの大学生活
大竹
いろいろやってなんでも出来るって、結局はなにも出来ないと同じことになっちゃう(笑)
三井所
そうそう(笑)
でもまさかそうなるとは思わないので、もともとはそういうことを学べば、価値を創り繋げる仕事ができるんじゃないかって。
でも突き詰めれば、具体的にこれがやりたい!っていうのがなかったんですよね、結局は。
だから学生時代の浅い知識なりに、総合通信企業に入れば、なにか自分がやりたいことを見つけられるんじゃないかと思ったんです。
大竹
たしかにいろいろやれそうな会社だし、仕事に夢だって持てそう。
三井所
それで、就職活動の時から面接で「中小企業を相手に仕事をしたい」と言い続けてたら、企業側からするとそれが珍しかったみたいで採用されて、入社後は実際に中小企業向けに営業する部署に配属されました。
大竹
中小企業?
三井所
なんとなく、「自分でなんとかできる仕事に就こう」っていうのは無意識の中であったんでしょうね。
大企業が相手だと、営業先の担当者の上司がいて、本部長がいて、役員がいて、自分の手を離れてからたくさんの決裁を受けないと話が決まらない。
でも、中小企業が相手なら自分で受注できて、自分で信頼関係を築いていけて、そんな風に仕事の中にいつも“自分”がいるからおもしろいだろうなって。その部署でずっと長く仕事が出来たんです。それがよかった。
大竹
たしかに、中小企業が相手なら場合によっては社長が直接出てくるだろうから、仕事の手応えは強く感じられるはず。でもそれを考える大学生って、なかなか面白い人だと思うんですけど。
三井所
人に縛られたくなかった(笑)
そういうのがめんどくさかったんでしょうね。
クリエイターの気持ち、サラリーマンの気持ち
大竹
でも大きな組織に入ってしまうと結果的には…。
三井所
いろいろ苦労はしました(笑)
ただ、会社にいて一番よかったことは、企業との交渉を心と頭、それに体に染み込むぐらいまでずーっとやれたことですね。
自分で言うのもなんですけど、けっこう貴重な存在だと思うんです。
クリエイティブなことや、それに携わる人たちの考え方もある程度は分かるし、がっつりビジネス界の、もっと言えば厳しい縦社会のさなかにいるサラリーマンのお客さんの気持ちも分かるとか。
大竹
うーん。ちゃんと今につながってますね。
三井所
つながってますね。
大竹
その中で、アカパン(A.Ka Project)とはどうつながるんだろう?
三井所
大学を出て始めて東京に来て、営業マンとして配属されたからには「会社で1位になってやる」っていう気持ちが強かったんです。
でも、実際にはぜんぜん結果が出なくて。
負けず嫌いで、仕事でもすごく他人と自分を比較する性格だったし、九州から東京に出てきて「東京、大阪の学生には絶対負けねえ」とか、世間のサラリーマンに対する偏見とかいろいろ重なって、結果的にはとにかく自分の弱さを隠したくて、当時は身の丈以上に、弱い犬みたいに吠えてました…。
大竹
20代ってやっぱそうやって意味なく尖るものなんだ(笑)
三井所
「やっぱりダメだった」って泣き言を言うのはイヤだし、逃げ場がないし数字は上がらないしで、しんどくて辛くてクタクタになってる時間がしばらく続きました。
そんな感じで1年ぐらい過ごしてたある日、巣鴨の地蔵通りのお店でアカパンを買って履いたら、次の日に大口の受注が取れたんですよ。
大竹
すごい出会い(笑)